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開催日 |
講座内容 |
1
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7/3
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哲学の問い(石川 求)
「問いが問いであるかぎり、答えはないはずである」と書いた詩人がいました。哲学の問いはまさにそういうものかと思われます。「答えはない」というより、答えようとする個々の人すべてに開かれているというべきでしょうか。問いを受け取ったが最後どのみち独りで考えるしかない。決められた一つの解がありえないような難物にかかずらわる。そんなことは無意味じゃないのか、へ理屈なんてどうでもいいだろう。いや、そうではないのです。「哲学への誘い」の第1回目は、哲学する意味なるものを具体的な例にそくしてお話しし、以後の回への橋渡しといたします。
<講師から一言>
難しい話は喋るのも聞くのも大の苦手なのでご安心ください。たぶん専門用語は一言も使わないと思います(使ったらどうしましょう)。
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2
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7/10
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民主主義と自由主義 ―それぞれの意義と限界について―(鈴木 崇夫)
三権分立にもとづく民主国家を標榜してきた日本ですが、政府や中央官庁が関わるさまざまな不祥事をつうじて、その実態に対する疑問が広がってきています。行政府に権力が集中する一種の独裁が強まっているのではないか、という懸念です。もとより、こうした動向は日本に限ったことではなく、アメリカ合衆国をはじめとして全世界的に進行しているようにも見えます。そして、それを推し進めているのは「新自由主義」であるという言い方がよくなされます。そもそも「民主主義」、「自由主義」とは何であり、それぞれの意義と限界はどこにあるのでしょうか。「平等」、「自由」、「人権」、「個人」といった基本概念の由来と本質を解き明かします。
<講師から一言>
テーマについて掘り下げて考えてみようという意志以外、この哲学講座を受講するのに特別な知識や能力は必要ありません。
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3
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10/9
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今こそ、哲学的〈対話〉を見直そう ―「力さえあればいいんだ」ろうか?― (檜垣 良成)
ソクラテスに始まる哲学的〈対話〉は独特のものである。それは、ただ相手を議論で打ち負かすことだけを目指す〈討論〉や〈ディベート〉とは異なるが、さりとて、互いの感情を大事にして人間的にふれあう〈会話〉とも異なる。〈対話〉は、確かに安易な妥協を避け、対立も厭わないものであるが、そこで終わりではなく、その目的はあくまでも皆が合意できる真理ないし真実の追求にある。現在、世界中で民主主義の危機とも思われる事態が頻出しており、これに対抗するために人々の連帯が期待されているが、ただ数の力で現状を変えれば、それでいいのだろうか? 力には力をという論理の重さを受けとめつつ、抜け落ちがちな視点を見直したい。
<講師から一言>
厳しい世の中になってきていますが、その中で充実して生きるための一つの視点を皆さんとともに考えてみたいと思っています。
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4
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10/16
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存在論と人生論(八木 雄二)
西洋哲学と言えば、デカルトの「われ思うゆえにわれ在り」とか、ハイデガーの「存在と時間」とか、ふだん聞きなれない「ことば」が並びます。何となく知的なにおいがして知りたくはなるけれど、知りたくなって本をさがしても、これといったものが見つからないのではないでしょうか。
あるいは、ゴーギャンが自分の描いた絵につけたことば「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」を聞いて、どう思いますか。
西洋中世の神学と西洋古代の哲学を研究してきた一人の日本人として、見えてきたことをみなさんとシェアしたいと思います。
<講師から一言>
30年前から研究の折々に本を出すようになり、昨年20冊になりました。初期の本から一貫している私の考えの核心部をお伝えできたらと思っています。
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